語の由来
Musica(音楽)とmuseo(美術館・博物館)
Musicaという語はラテン語のars musica「ムーサたちの技芸」に由来しています。ムーサとはギリシャ神話の9柱で、アポロンの賢明なる導きのもとあらゆる芸術や教養、文学を保護したゼウスとムネモシュネ(記憶を神格化した女神)の娘たちとされています。ギリシャ神話におけるムーサの重要性は高く、「万物」 すなわち永遠に輝けるものの真実としての芸術の理想を象徴していました。正確にいうと、ムーサたちにはそれぞれ名前と保護する芸術がありました。クレイオーは歴史、エウテルペーは叙情詩と音楽、タレイアは喜劇、メルポメネーは悲劇、テルプシコラーは舞踏と交声詩、エラトーは愛の詩と合唱、ポリュムニアーは無言劇と聖歌や英雄を讃える歌に合わせた舞踏、ウーラニアーは天文と幾何、そして最後のカリオペーは、詩人ホメーロスにイーリアスとオデュッセイアの着想を与えた女神で、叙事詩を保護していました。
これらの9柱はmusicaとは全く違う意味ではあるのですが、やはり芸術と関係がある別のイタリア語の由来にもなっています。たとえばイタリア語のmosaico(モザイク)は、opus musaicum(ムーサに捧げられた作品)という表現から来ていますし、ギリシャ語のmuséionからは、ラテン語のmusèum(あるいはmusaèum)やイタリア語のmuseo(美術館・博物館)という語が生まれています。モザイクの話はひとまずおいておき、今回はmuseoという言葉がどのように誕生したのかみてみることにしましょう。
紀元前3世紀、エジプトのアレクサンドリアではプトレマイオス1世(紀元前367-283)の指導のもと、ムーサに捧げられた建物が建てられました。そこは学者や教養のある人々(数学者、科学者、天文学者のエウクレイデスやエラトステネス、医者のヘロフィロスなど)の社交場となりましたが、それと同時に学堂でもあり、様々な知識を身につけ、先に上げたような学識豊かな人たちの授業を聞くことができる場でもあったのです。muséionと呼ばれたこの場所には、その収蔵作品の多さで古代エジプト中にその名を馳せたアレクサンドリア図書館が併設されていたこともあって、その後数世紀に渡ってヘレニズム世界のもっとも高尚な文化施設とされていました。
当時、アレクサンドリアの街はとても豊かで、有力な市民たちはプトレマイオス1世の事業を真似しようと自らの邸宅内に絵画や彫刻、歴史的に価値のある物、科学の道具などを収集し始めました。時の経過とともにコレクションの数があまりにも増えてしまったため、これを収蔵するための建物を新たに作る必要があった人もいたほどです。このような建物も、最初に貴重な作品を集めて保存を始めたムーサに捧げられた祠堂と同じようにmuséionと呼ばれました。古代ローマがエジプトを征服した時、このギリシャ語がラテン語のmusèumになり、そこからイタリア語のmuseoへと派生したのです。
この語は17世紀頃から普及し始め、芸術作品や考古学的資料を収蔵する所を示す言葉としてあらゆる近代語に広まって行きました。その後20世紀からは、様々な所から収集されたものを指す語として普及しました。
マルコ・ビオンディ Marco Biondi
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